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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2016年  

  放送日 タイトル 法 話
547 2016年4月16日〜 桜の散る頃 第14組 西福寺 峰 恵
 この度は、二度目の別院テレホン法話をさせていただくご縁をいただき大変ありがとうございます。
 私は、養老町にあります西福寺というお寺の住職となり今年の4月で丸五年になります。まだまだ住職としては未熟ですが、門徒の皆様に助けていただきながら、日々生活しております。
 私事ですが、去年から今年の初めにかけて、大事な御門徒さんが二人お浄土へ(かえ)られました。二人は毎年ご本山にも一緒にお参りした方たちでした。その方たちを失った時に、私は改めていのちの有り難さを教えられました。
 さて、この時季になりますと、私のいるお寺にある山桜が咲き始めます。その桜を観ていると、「散る桜残る桜も散る桜」という言葉を思い出します。私たちは、この時季には花見を楽しみます。その時には綺麗な花に目が行きがちですが、綺麗に咲く花も、いつかは散っていくという、いのちのはかなさを私たちに教えてくれます。
 また、こういう言葉もあります。「明日(あす)ありと 思う心の 仇桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」という一句です。これは親鸞聖人が、九歳で得度(とくど)をされた時に詠んだ句だと言われています。親鸞聖人の生きられていた時代は、今以上に生きていくことが大変だったはずです。そんな時代を生きられていたからこそ詠まれた一句だと思います。
 私たちは明日があることを当たり前に思っていますが、白骨(はっこつ)御文(おふみ)にもあるとおり、「(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身」であり、いつ終わるかわからない、いのちを生きているのです。しかし、私たちはそれがいつまででも続いて欲しいと思っています。けれど、それは(かな)わない願いです。
 どんな人であっても必ず最後は訪れます。綺麗に咲く花が散っていく様を見るたびに、私もいつかは散っていく身でありながら、(むな)しい日々を過ごしていないかと、いのちについて自らに改めて問い直しています。


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