テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
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放送日 |
タイトル |
法 話 |
548 |
2016年5月1日〜 |
自分は自分であればいい |
第17組 西願寺 永木正意 |
日常生活の中で、「羨ましいなあ」「あの人みたいだったらなあ」、このような言葉が私自身、また自分の周りでも非常に多く聞こえてきます。自分よりも楽しそうであったり、幸せそうな人を見ては、「なぜあの人は、ああなのに私だけはこうなんだろう」や「どうせおれはここまでの人間なんだ」という様な諦め・嫉妬のような思いが心のどこかに生まれてきてしまっていると感じるのです。
私も社会人になって約5年が経過しようとしています。営業職として多くの同期や先輩・後輩に助けられ、仕事に取り組めてはいるものの、未だに満足のいく仕事内容ではありません。注意や指導を受ける際、資格試験の勉強に追われる日々に対して「なんで自分だけが」や「周りの友人達の話を聞くと、ここまで大変じゃないのになあ」と感じてしまうこともあったのが現実です。
そのような話をポロっと会社の同期にした時に、こんな言葉を言われたのです。
「そうやって思う気持ちは分かるけど、厳しい環境に身を置くからこそ力になることはきっとある。楽してお金をもらっても、なんの喜びも得られないよ。そりゃ周りを広く見渡せば、自分たちより楽で楽しい仕事生活を送っている人がたくさんいるに決まっている。でもそれを引き合いに考え出したらキリがないよ。お前の持ち前の元気や明るさでがんばれよ。きっとそれを必要とする人はいるからさ。」
『阿弥陀経』の中に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とあり、お浄土の池の光景を表しています。そこには蓮の花が咲き、青い蓮の花は青い光を、また黄色い蓮の花は黄色い光を放っている。このようにお互いが光を出し合い反射し合うことで素敵なお浄土の風景があるのです。まるで、「お前は青い花を咲かせればいいのだよ。無理して黄色い花を咲かせる必要はないんだよ。」「君は君のままでいいんだ」という世界を表現しているように感じるのです。
自分は自分として、あなたはあなたのままでいい。こう捉えることができたとき自分自身の肩の力がとれました。
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