テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
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放送日 |
タイトル |
法 話 |
549 |
2016年5月16日〜 |
祖母からの灯 |
第6組 慶圓寺 譲 西誓 |
私には88歳の祖母がいます。昔の祖母はとても厳しい人でした。幼い頃の記憶に残っている姿はいつも怒ってばかりです。そんな祖母も十数年前から認知症を患い、今では誰が誰かも、ご飯を食べたかどうかもわからず、トイレや入浴も一人ではできない状態です。そして二年前からは介護施設に入っています。このような祖母の姿を見た、私や周りの人は「昔はあんなしっかりしとったのに、かわいそうなもんやね。」と言うのです。
そんな祖母が、最近よく言うようになった言葉が二つあります。それは「ありがとう」と「私は何にもできんからよろしく頼むよ」という言葉です。この言葉を祖母は、目が覚めたときに隣に私がいた時や手を繋いでどこかに連れて行った時など、私からすれば、なんて事ない時に言うのです。そして、施設の方から聞いた話によると、祖母は毎朝正信偈のお勤めをして、なまんだぶとお念仏を称えているそうです。
このような祖母の姿に、私は気づかされたことがあります。それは、「ありがとう」「頼むね」という言葉をなかなか言えない私の姿です。思い返してみると、「当然のことをしてもらっとる」「人に頼るなんてみっともない」という私の思いやプライドが邪魔をして、「ありがとう」「頼むね」という言葉がなかなか出ないのです。このことを通して、お念仏を日常の中で忘れている私に気づかされたのです。
親鸞聖人が大切にされた七人のお坊さんの中に善導大師という方がみえます。
善導大師は「就人立信」、「人に就いて信を立つ」と言われました。これは自分の力で信心を発すのではなく、諸仏やお釈迦さんを通じて本願への信心が立ち上がってくるということです。つまり、周りにかわいそうと思われていた祖母が、本当にかわいそうなのは、仏さんを忘れ自力に盲信していた私であったと気づかせてくださった諸仏だったのです。阿弥陀仏の本願の意という仏法の灯を、お釈迦さん、諸仏、七高僧、宗祖、先達が伝え、今私に届いているのです。この灯が伝わることを、正しく伝灯と言うのでしょう。皆さんは身近な灯を忘れてはいないでしょうか。
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