放送日 | タイトル | 法 話 | |
---|---|---|---|
578 | 2017年8月1日〜 | 第15組 明圓寺 藤原亮栄 | |
一年ほど前に神奈川県の障がい者施設で入所していた障がい者19人が殺害され、26人が重軽症を負った事件が発生しました。 報道によると、犯行動機について「障がい者を生かすために 「出生前診断」という言葉を聞いたことがありますか。妊婦の血液を採取するだけで、胎児の障害の有無を判断できる検査の事です。この検査を受けたいという人がかなり多く、実際に検査を受け、障害があると判断された親御さんは、かなりの割合で中絶を選択するという記事を目にしました。きっと苦渋の選択であったと思います。しかし、中絶を選択した親御さんは、もしかしたら障がいを持って生まれてくるわが子の人生を最初から「不幸」と感じてしまっていたのでしょうか。 この神奈川の事件と出生前診断の記事を私はどうも切り離すことができません。悲惨な事件をうけ、私は障がい者の「命の尊厳」を実感した一方で、障がいを持って生まれてくることを「不幸」に感じていました。その証拠に交通事故に 被疑者の犯行は容認できませんが、「障害は不幸だ」との発言を私は真っ向から否定ができないのです。みなさんは如何でしょうか。高齢の門徒さんと話をしていると「歳はとりたくない」「寝たきりになったら人生終り」といった言葉をよく聞きます。それは「寝たきり」=「不幸」、「老い」=「不幸」だと私が決めつけているということではないでしょうか。若い人達も例外ではない気がします。 では、そもそも幸福や不幸って何でしょうか。現実は思い通りにはならないことを歳を重ねるごとに実感します。言い方を変えれば、幸福の条件を自ら設定し、その条件を満たせていない現実とのギャップにただただ悲嘆しているのかもしれません。ではそんな悲嘆にくれる我々はどうしたらいいのでしょう。 親鸞聖人は我々に、ただ阿弥陀の名前を |
〒503-0897
岐阜県大垣市伝馬町11番地
開所時間 9:00〜17:00
(毎月第1、3日曜日 事務所休)
納骨堂参拝 9:00〜16:00
TEL 0584-78-3362
FAX 0584-78-3328
E-mail kaisenji@ogaki-gobosan.net