放送日 | タイトル | 法 話 | |
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582 | 2017年10月1日〜 | 第14組 存徳寺 柏尾真道 | |
昨年の7月26日、神奈川県相模原市の障がい者施設に入所されている19人が亡くなり、26人が重軽傷をおった大変痛ましい事件が起こりました。抵抗できない方達の命が奪われた、本当に心が痛くなる事件であり、事件後に多くの方がこのことを語られています。私自身、障がい者施設で働く身でもあり、警察の方の訪問や様々な注意喚起の指示がありました。実際に通っている利用者の方も、事件を知って不安になる方もおられました。容疑者は事件後に、「障がい者は経済的にマイナスな存在であり、社会から減らすべきである」という主旨の供述をしています。 現代社会はできる、できない、間に合う、間に合わない、役に立つ、役に立たないという競争成果主義の中で成り立っています。その線引きを重要視する価値観を、私達の中で拭い去ることができません。競争成果の尺度の中で、起こってきたことがこの事件であり、自殺される方、孤独死と呼ばれる事例の増加もまた、その中でのひずみともいえるかもしれません。 では、「間に合わない人」とは、能力のない人、障がい者や高齢者、社会的弱者と呼ばれる人を指すのでしょうか?「間に合う人」「能力のある人」は、ずっとそうであり続けられるのでしょうか? 生・老・病・死の四苦から、人間である以上、当然逃れることができません。間に合わなくなったら終わり、迷惑をかけないように生きたい。しかし、現実は間に合わなくなったら終われる命ではなく、迷惑をかけずに生きていける人もいないでしょう。そのことが、「私」の身に起こった時、「私」はどう向き合っていけばいいのでしょうか。 親鸞聖人は、このこと一つとして、南無阿弥陀仏を拠りどころとして生きるということを私達に伝えておられます。お念仏には、綺麗な自分も汚い自分も、あるがままの自分を改めて見つめ直し、私を支える命のつながりに気づかせてくれる、大切なはたらきがあるというのです。「競争成果」、間に合う、間に合わないの社会の視点では気づけない、本来の命を見つめなおす視点、「正しい お念仏による命に対する「正しい眼」、命に対する「正しいものさし」、そして私を支える命のつながりに気づいていくこと、この現代に生きる私達にとって、いま一度確かめていく必要があるのではないでしょうか。 |
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