放送日 | タイトル | 法 話 | |
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586 | 2017年12月1日〜 | 第7組 圓龍寺 鹿野映龍 | |
10月のある日、岐阜市のある斎場で御葬儀を終えた後、少し時間が出来ましたので、岐阜別院にお邪魔しました。本堂で手を合わせ、ふと見ますと、『岐阜東御坊』という印刷物が目に留まりました。「ご自由にお持ちください」ということでしたので、何気なく手にとって読んでみますと、裏表紙に記載されていた次のような詩が私の目に飛び込んできて、しばらく思考停止になりました。 「人間」 みじめなものだ うまれる 大きくなったら 勉強する 学校を出て働く けっこんする 働いているうちに年をとる 病気などで死んでいく みじめなものだ 考えるといやになる 心の底からつめたくなる なぜ こんなに 人間は生きているのだろうか 父は 少し前に死んだ 《小学校五年生 女子》 この子はどんな思いでこの詩を書いたんだろうと考えると、何とも言えない気持ちになりました。きっとこの子は、一生懸命働いていた大好きなお父さんの死を目の当たりにし、人生の意義を考えたことでしょう。そして、むなしく悲しくなってしまったのでしょう。 これは、釈尊がまだ王子の頃、お城の四つの門から出かけ、それぞれ老人、病人、死者、そして、生きる意味を求めている修行僧に出会い、人生の苦を目の当たりにして、生きる意味を求めて出家を決意したという「 この子が目の前にいて、あなたに問いかけます。「一生懸命勉強しても、働いても、年をとって病気になって、最後には死ぬんでしょ?何で人は生きているの?」 さぁ、どう答えられますか? この問いは、その女の子だけの問いではありません。私たち一人ひとりが持つ、根源的な問いです。この問いを「見ないように」「考えないように」「ごまかして生きている」のが、我々です。このことを忘れず、そして、当たり前に語り合える時代と環境であるべきだと考えます。一緒に「問い」を考えましょう。 |
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