放送日 | タイトル | 法 話 | |
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591 | 2018年2月16日〜 | 第6組 超安寺 杉原 聡 | |
「こどもは、だれかと一緒のとき、ひとりになれる」これは、イギリスの児童精神科医の言葉です。「だれかと一緒」であるとき、「ひとりになれる」というのは一見、矛盾しているように感じます。 小さなこどもが公園で遊んでいる場面を想像してください。こどもの関心事は専)ら「どんな滑り台があるだろうか」、「ジャングルジムは…」ということにあるでしょう。そして、それらの遊具を使って遊びに没頭します。公園に連れてきてくれた母親のことなど、頭にはないはずです。わき目もふらず、ひとりになることができるのです。 でも、本当にひとりなのでしょうか。もし母親が「遊びに夢中だからちょっとくらい大丈夫だろう」と考えて、その場を離れたとします。母親がいないことに気づいたこどもは、遊びどころではなくなって必死で母親をさがすでしょう。こどもがひとりで遊びに没頭するための条件は、立派な遊具などではないのです。見守ってくれる母親がいるかどうかです。これが「こどもは、だれかと一緒のとき、ひとりになれる」ということでしょう。言い換えれば、だれかと一緒でなければ、不安になって、ひとりで遊ぶことなどできない、ということになるのでしょうか。 こどもはひとりで遊んでいるように見えて、実は母親の愛情につつまれて「遊ばせてもらっている」のです。 私たちはひとりで生きてきた、自分の力で生きてきたと勘違いすることがあります。何かを成せば、自分の手柄だと考えがちですが、本当にそうでしょうか。何かを達成するためにまい進することができた時、支えて見守ってくれる存在があったのではないでしょうか。私も公園で遊ぶこどもと同じです。支え見守ってくれるものの存在があったからこそ、安心して、ままならない人生に向き合えているような気がします。「私を見捨てることなく、いつも支え見守ってくれる存在がある」と確信することは生きる勇気につながるものです。 見捨てることなく、常に私を見守ってくださる存在を、私たちは阿弥陀如来と呼ぶのです。 |
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