放送日 | タイトル | 法 話 | |
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594 | 2018年4月1日〜 | 第9組 専称寺 森 専正 | |
ある時、ご門徒さんにお坊さんならば何と言うのですか?と尋ねられたことがあります。その人は、過去に流産で子どもを亡くされた方でした。子どもを亡くした悲しみに暮れる自分たちを親戚や友人、色々な人が励ましてくれたけれども、何を言われても心に響かない。腑に落ちない。かといって、忘れることなどできないし、忘れたくない。そんな自分たちが、納得できるような答えが欲しい。そういう問いでした。 突然の 「子どもを生き返らせる薬を作るから、ケシの実を貰ってきなさい。ただし、一度も死人が出た事のない家から貰ってくるように。」お釈迦様にそう言われた女性は何件もの家を訪ねますが、どの家を訪ねてもケシの実はありますが、必ず誰かは亡くなっており、死人が出た事のない家は見つかりません。やがて、日が暮れてお釈迦様のところに戻ってきた女性は子どもを亡くしたこと、全ての人間は死ぬということを受け入れていくというような話です。 私に尋ねたその人はその話を聞いて、「理屈ではわかるけど、子どもを亡くした悲しみはどうしようもない」とやはり腑に落ちない様子でしたが、その時の私にはそれ以上かける言葉が見つかりませんでした。このことは私の中でずっと残っていて、あの時、なんと言えば良かったのだろうかと、その後も折に触れて考えていました。 生まれたからには死ななければいけない。これは、諸行無常の世界です。そう頭では理解していても、胸にぽっかりと穴が開いたような悲しみは、自分ではどうすることもできません。けれども、その深い悲しみもやがて氷が解けて水になるように、形を変える時がくる。鉛のように重い悲しみが、やがて亡くした子の存在を感じるかけがえのないものに変わる。悲しみもまた形を変える。それもまた、諸行無常の世界ではないでしょうか。 諸行無常と言うと平家物語があまりにも有名なので、盛者必衰と並べて語られることが多いですが、それだけではありません。悲しみや苦しみもまた変化するものであるということを私に教えてくださっているのではないでしょうか。 |
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