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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2018年  

  放送日 タイトル 法 話
598 2018年6月1日〜 われら 第1組 等覚坊 稲葉亮道
 時々、高校生の時に使っていた世界史の教科書を眺めることがあります。すると、愕然(がくぜん)とするのです。古代より、人類は絶えず殺し合いを続けてきたからです。まるで、血で血を洗うようです。なぜ、この殺し合いは終わらないのでしょうか。
 進化生物学者、ジャレド・ダイアモンド氏によると、殺し合いの原因は「我々対彼ら」にあるといいます。例えば、ナチスが六百万人のユダヤ人を虐殺(ぎゃくさつ)したホロコーストは、「我々はドイツ人、彼らはユダヤ人」というところに立ったために起きたのです。しかし、これは何も歴史上の話ではありません。私たちは日々の暮らしの中で常に「我々対彼)ら」に立ち、自分以外の人を「彼ら」として排除してはいないでしょうか。
 親鸞聖人(しんらんしょうにん)はこの世の(やみ)を問い、ご自身にも(うず)く、人を排除する心を深く見つめられた方です。だからこそ、仏様の教えに学び、「われら」というところに立っていかれました。著書には何度もこの言葉が出てきます。例えば、『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』には、
  「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。
                          (『真宗聖典(しんしゅうせいてん)』五二一頁)
とあります。また、『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』には
  「凡夫」は、すなわち、われらなり。       (『真宗聖典』五四四頁)
と書かれています。
 親鸞聖人が生きられたのは戦乱の時代です。まさに「我々対彼ら」の中で、人が殺され、差別を受け、人の尊厳が踏みにじられました。親鸞聖人はそのような時代にあって、それでも「われら」に立っていかれたのです。つまり、全ての人が悲しみや痛みを抱えた凡夫であり、同時にどんな人も尊き一人なのだと言い切っていかれました。別の言葉で言えば、私たちは「御同朋(おんどうぼう)御同行(おんどうぎょう)」なのです。
 私たち一人ひとりが「われら」に立つ。これは、仏様の願いであり、「我々対彼ら」という闇の中でたくさんの涙を流してきた人類の悲願(ひがん)だと考えます。


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