放送日 | タイトル | 法 話 | |
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626 | 2019年8月1日〜 | 親心 | 第18組 随願寺 諏訪邦充 |
最近お葬式やお墓の事が、世間の話題になる事が多くなった気がします。自らが頂いている「命」という事への関心が高まっている、という言い方をすれば聞こえはいいですが、世間の注目はそういうところでは無いようです。出来るだけ手間やお金をかけないようにという事への関心が強く、「知らないと損をする」なんていう見出しが付くほどです。この手間やお金をかけたくないという発想が、どこから生まれるかというと、それは自分の子や孫に迷惑をかけたくない。負担をかけたくないという思いがあるようです。あとに、残していく者への親心なのだと思います。 そんな事から最近はお葬式もさまざまです。ひと昔前までのお葬式といえば自宅で営むか、もしくは地域の集会所やお寺の本堂を借りて、隣近所の方にもお手伝いを頂き、多くの方にお見送りをいただくのが当たり前でした。今はそんな近所の方との付き合いも無くなり、身内だけでお別れをする「家族葬」が多くなっています。さらに手間を省いて、お通夜をしない「一日葬」というのもあります。手間や負担を省くその極みは、亡くなった方を病院から直接火葬場に運ぶ「直葬」です。なぜ、一般的なお葬式をしないのかと問われれば、「故人の遺志だから」という言葉が聞こえてきます。果たしてこれでいいのでしょうか? 私は、学生の時にお世話になった先生に、「お葬式とは出遇い直しの場である」と教えて頂きました。出遇い直しをするというのは、「何」との出遇い直しでしょうか?ひとつは、亡き方であると思います。一般的な葬儀では、多くの方がお参りに来られます。特にお通夜の晩には近所の方をはじめ、会社などに勤めておられれば勤務先の方、古い友人など、お参りに来られる方は故人の付き合いによって様々です。そこで残された私たちは、自分の知らない故人の姿に出遇うのです。自分の親の事は子である自分が一番知っているように思いますが、子が知る親の姿はわずかなものです。職場、交友関係、または自分を生む前の姿などはなかなか知る機会の少ないものです。 そしてもうひとつ、なにより大切な出遇いは「命」との出遇い直しです。私たちは、人生の中のいろんな場面で「命」という事を教えらます。それは学校であったり、または家庭の中で、親や先生から「大切な命」「限りある命」という事を教えられます。しかし、それはどこか漠然としていて、他人事のように聞こえてしまいます。その漠然と他人事のような命の問題に、大切な人との死別を通して改めて出遇うのが、お葬式なのだと私は思います。 お葬式に限らず仏事を営み、仏さまの教えに遇うということは、亡き方を通して私の命に出遇い、私の生き方を問い直すという事であります。残していく人に苦労やお金をかけさせたくないというのも親心です。しかし、自分の命の終わりを通して、遇い難き教えに、命に遇う縁を遺すというのも大切な親心ではないでしょうか。 |
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