放送日 | タイトル | 法 話 | |
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631 | 2019年10月16日〜 | 迷心の信心 | 第12組 傅香寺 松島海生 |
私達はいつも何かに迷っています。今日のご飯の献立・自分の受験進路・職場や学校などの人間関係・恋愛、そして自分の生死。自分で解決できてしまうなんて事のないものから、何かに そんな私達の、迷う心「迷心」は昔からありました。いや、正確には「迷う心」のままに「迷い信じる」「迷信」をしてきたのです。その迷い信じる「迷信」によって、時に大きな犠牲を払いながら生活をしていました。迷ってはいけないという「迷う心」に従いながら。 ですが、「迷う心」を持つことは、悪い事ではありません。正確には、悪い悪くないということではありません。人間である以上は、必ず「迷い」は生まれるのです。迷いながら生きるのが人間なのです。それを、今の私達に伝えて下さったのが、親鸞聖人なのです。親鸞聖人は迷う事、つまり、自分にはなんの助かる為の 私達は迷いをはらそうと、都合の良いように神仏を利用します。ですが、一番重要なのは迷いを持つ自分を理解し、そんな自分を助けようと手を差し伸べて下さっている、阿弥陀仏に気付くことなのです。「迷う心」をはらそうとするのではなく、「迷う心」を人間が持つという事実に向き合う事。そのような自分に、手を差し伸べて下さる阿弥陀仏の優しさに、ふれていることに感謝する。それが、私達の迷う心「迷心」の意味なのです。 多くの人が「迷う心」をはらす事を、親鸞聖人が明らかにしたと仰います。ですが、私にはそうは思えないのです。私には「迷う心」から、本当の「信心」を明らかにされたのが、親鸞聖人だと思うのです。「迷心」に |
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