放送日 | タイトル | 法 話 | |
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650 | 2020年8月1日〜 | ありがたいねぇ | 第7組 光明寺 堀 恵慎 |
「お葬式は亡くなった人の為に行うのではない。残された人の為に行うのだ。」という話を聞いたことがあります。それは残された人が、大切な方の死を通じて、何を感じ、何を受け止めるのかが大切であるということだと思います。 昨年、私の祖母が亡くなりました。満94歳でした。いつもニコニコしていて、決してわがままを言うことなく、口グセのように「ありがたいねぇ」と言う。そんな祖母でした。周囲の方からは、「長生きできてよかったね」とお声がけを頂きました。確かに、平均寿命からすれば比較的高齢ではあったものの、私が生まれた時から一緒に生活をしていた祖母でしたので、歳を重ね、病を患い、死を迎えたわけですが、私にとっては「突然亡くなってしまった」という感覚が強くありました。 葬儀を終えた時、8歳になる娘が作文を書いてくれました。 ばあちゃんがしんだ。12月24日。わたしは学校から帰ってきてその話を きいて大なきした。いっぱいたくさんのなみだがこぼれおちた。ばあちゃんはこきゅうをしていなかった。 わたしは今までのばあちゃんのしゃしんを見た。どのしゃしんもニッコリして いた。わかいころも、としをとったころのしゃしんもぜんぶニッコリしていた。すごいなぁとわたしは思った。 12月28日、おつやがおわった。ばあちゃんはけしょうをしてひつぎに入っていた。ひつぎの上には、いろんなしゃしんがおいてあった。いちごがりやかぞくしゃしんがおいてあった。そこでわたしはおまいりをしてへやにいった。 12月29日、今日ばあちゃんとおわかれをした。お花をおいた。ひつぎのふたをとってもらって顔をさわってみた。ばあちゃんの顔はつめたかった。ばあちゃんを見ているときみんなないていた。みんながないているところを見たとき、わたしもなみだがながれてきた。れいきゅう車でばあちゃんは行った。 心の中で「ばあちゃん、今までありがとう」と言った。 いつもニコニコしていることの素晴らしさや偉大さ。手を合わせてお念仏を称える姿。「ありがとう」という心。そして、人は皆、死を迎えるのだということ。祖母の死、お葬式をご縁として様々なことが、残された我々に伝わっているということを、娘の作文を通じ、はっきりと確認することが出来ました。 ふとすると、わかったつもりでいる私ではありますが、何事も当たり前ではないということを噛みしめながら、祖母のように「ありがたいねぇ」と言える人でありたいと思う今日この頃です。 |
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