放送日 | タイトル | 法 話 | |
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669 | 2021年5月16日〜 | いのち | 第7組 念瑞寺 藤原克総 |
子どもに「いのちどこにある?」とたずねると、だいたい胸のあたりを押さえます。大人の方でもそうされる方がほとんどだと思います。確かに物理的に考えると、心臓や脳や内臓が動いていないと死んでしまいます。でも本当にそれだけがいのちなのでしょうか。 私のこのいのちは、父母がいて初めてここにいます。そして、その父母にも父母がいるというように、ずっといのちが繋がってきたからこそ、今まさにここに私という存在があるのではないでしょうか?そう考えると、私の存在自体が、いのちであり、自分だけのいのちではないのだと思います。 今コロナ禍で、自分で自分のいのちを絶つ人が増えていると、ニュースなどで聞く事があります。そのニュースを聞くたびに、辛くなんとも悲しい気持ちになります。人が亡くなるということは、その人に関わった人を悲しませる事になります。なにより、先に述べたとおり、今の自分があるのは、数えきれないほどのいのちが繋がってきたということであり、自分だけのいのちではないのですから、自らいのちを絶つということは全てを無下にするものであります。 また、今の時代「どう死んでいくか」と言う事を耳にしますが、どう死んでいくかという事じゃなく、「どのように生きていくか」がとても大切だと私は思います。死に様ではなくて、生き様を後に続く人たちに残す事が私達のいのちの在り方、使い方なのではないしょうか。何を残すかというと、「自分の思い通りにならないいのち」という事です。普段の生活の中で思い通りになる事もあるかと思いますが、思い通りにならない事の方が多いのではないでしょうか。その「思い通りにならない」という事が、皆さんの残すべき「いのち」の姿という事です。 私の思う「いのち」とは、私だけのいのちではなく、思い通りになるものでもないということを教えてくださる存在です。皆さんにとって「いのち」はどういう存在でしょうか。 |
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