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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2024年  

 № 放送日 タイトル 法 話
737 2024年3月16日~ 今を生きる 第4組 明看寺 新田啓真
 「明日ありとおもう心のあだ桜 夜(よ)半(わ)に嵐の吹かぬものかは」
 これは親鸞聖人が9歳で出家を決意された際、夜になってしまい、「今日はもう遅いから、式は明日にしたらどうか」と高僧・慈円(じえん)に言われ、その時に()んだとされる和歌です。「明日ありとおもう心のあだ桜」明日があると思う心は、はかなく散る桜のようなものです。「夜半に嵐の吹かぬものかは」真夜中に突然嵐が吹かないことはないのだから。この世の中はいつも変化して、変わりやすいものであり、人の命は明日まであるとは限らないので、今日出家させてほしいという事をおっしゃってみえます。親鸞聖人は今という、この瞬間の大切さありがたさを感じられ、さらには、桜の美しさ(はかな)さを人の命にたとえられ、命の無常を感じられたのではないでしょうか。
 私たちは、当然のように「明日がある」と思って生活しています。だからこそ、その日のうちにやらなければならないと十分わかっているのですが、つい先へ先へと先延ばしにしてしまいがちです。私自身も毎日の生活に追われる中で、自分が楽な事、楽しい事を優先してしまい、面倒なことを後回しにしてしまうことがあります。さらに、先にすればするほど想いも薄れて、「明日」は「そのうちに」になり、「そのうちに」は「いつか」になり、結局やらずに終わってしまいます。
 当たり前の事ですが、明日は何があるのか分かりません。東北の地震、北陸の地震でも当たり前の日常が一変しました。一瞬の出来事で大切なものが無くなってしまいます。また、日常でも病気・事故など、一瞬先はどうなるか分からないものです。そして、どうなるかわからない一番身近なものが命です。この思い通りにならない命の事を真宗では「阿弥陀」と言います。
 今を生きる中で、ふたしかな命としっかり向き合い、丁寧に生きてくださいと阿弥陀様から私たちは願われています。そして、仏法を聞くという事は私が阿弥陀様から願われている存在であるという事を知り、その願いの中で自分の存在を確認していく事だと改めて考えさせられました。


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