№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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752 | 2024年11月1日~ | 多様な在り方と聞法 | 第13組 楽邦寺 禿 奈穂 |
私は個人を大切にする考え方が好きです。個人にはひとりひとり 年中さんになった子どもがこう言います。「ママはいつも自由、僕はいつも自由じゃない。」それは自分はいつもママやまわりの大人の言われることで動かないといけない、自由が許されていない、多様性を無視した大人たちに自分の感覚を大事にされていない、という生き苦しさを訴える言葉だなと感じました。自分の感覚を大事にするように、他人の感覚も大事にすること尊重することを私は大事にしていたはずですが、気づいたら自分の感覚や自分の思いばかりになり、子どもや他人を尊重することをないがしろにしていました。例えば、これは私がしたことですが、よくこういうやりとりをしがちです。「このブロッコリー美味しいから食べてみて。」その時子どもが美味しいといって食べればそれですみますが、「美味しくないよ、僕は食べたくないよ。」と子どもがいっても、「いやいや美味しいし、栄養もあるから食べなよ。」と子どもの感覚を無視した発言を続けるのです。私には自分の感じるように相手も感じるという思いこみがあり、また、言っていることが正しければ(ブロッコリーには栄養があるなど)自分の意見が通って当たり前と思ってしまうことが多いのです。この場合、「そうか~あなたは美味しくないと感じるんだね~食べたくないんだね~」と少なくとも一度子どもの言葉を私はそのまま受け止めれば良かったのかもしれないと思います。自分の思いを伝えるにしても、その子どもの言葉に対する受け止めがまずなければ、多様性を尊重した対等な親子の会話の一歩にもならないのかもしれません。 自分の思いはとても大事で大切にしなければならないけれども、それだけでは生きられないし、それだけでは相手と共にいきいきとお互いにのびのびと生きるということは難しいという当たり前のことに改めてうなずく日々です。 自然法爾といわれる在り方にも沿う人間社会というのは、多様な在り方を相互に認め合える社会であり、それは個人レベルでは、お互いの思いや感じ方を相互に聞きあうすがたをとるのではないかと思います。とくに権力をもった大人は聞くということを改めて考えるべきですね。聞法が大事といわれる所以はそこにあると思います。南無阿弥陀仏。 |
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