№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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757 | 2025年1月16日~ | 善人であろうとする私 | 第6組 覚養寺 竹中裕太郎 |
私は普段、保育園で保育教諭として働いています。保育教諭と言う仕事は、日々、子どもたちの成長に驚かされ、新しい発見に感動しながら、エネルギーをもらえるやりがいのある仕事です。しかし、忙しく目まぐるしい日々の中では仏法や真宗の教えに触れる機会が遠くに感じていました。子どもと向き合い、保護者と向き合い、職場の先生たちと向き合うことはあっても、自分と向き合うことはあまりしてきませんでした。 そんな私が親鸞聖人のある言葉と出会い直したのは保育園の参観日のために準備をしていた時のことでした。元々、私は人の顔を伺ったり、他人の目を必要以上に気にして行動したりするところがあり、たくさんの大人に見られる参観日にとてもプレッシャーを感じていました。今、振り返ってみると、子どもたちと一緒に楽しみにする一方で変に力が入りすぎていたのだと思います。最初は「子どもたちを楽しませたい。見に来てくださった親さんたちも楽しんで帰ってほしい」という思いで考え始めたはずなのに、いつの間にか「子どもたちの良い姿を見せたい。自分の良いところだけを見てもらいたい」という思いが先走って、自分で模範となるような理想の先生像を作り、そうなるべきだと思い込んでいました。 そんな時、園長先生や先輩の先生方に参観日の進め方や子どもたちへの声のかけ方を見てもらえる機会があり、ある一人の先生が私の保育する姿を見て、こう言ってくださいました。「何か、いつもの先生と違う感じがするなぁ。良く見せようとし過ぎかもしれん。できないところもあってもいいんやよ。」私はこの言葉をかけてもらった時に無理に善人を演じようとしていた自分に気付かされ、 私も含めて人間は、自分の悪いところや足りないところをなかなか認めようとできないものです。思えば、小さい頃から善人であろうとし続けてきた私にとってはとても心にしみる言葉でした。その先生が思い出させてくださったおかげで、うまくできない自分、不安だらけの自分も自分の中に居て良いのだと心が軽くなり、自分でからめていた 皆さんも「良い人」や「理想の自分」を演じようと頑張り過ぎて、心が疲れてはいませんか?そんな時は、ふと立ち止まって自分の眼を外側から内側に向けてみましょう。目を背けたくなるような悪いところも含めてありのままの自分を知ってみる、認めてみることが、浄土真宗の教えを聞いていく第一歩なのかもしれません。 |
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