本文へスキップ

真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

TEL. 0584-78-3362

〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

沿革HISTORY


沿革


 慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじ東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょ創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。

 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。

 寛保かんぽ3年(1743)3月、本寺である平尾の真徳寺が平尾御坊と名乗ると、伝馬町の掛所も平尾御坊掛所となった。掛所は延享えんきょう4年(1747)には本山東本願寺の掛所も兼ねて大垣御坊おおがきごぼうしょうせられた。

 安永あんえい2年(1773)5月、真徳寺が織田信長に滅ぼされた伊勢長島願証寺がんしょうじ名跡みょうせきを復活し寺号を改称したので、以後、掛所は大垣御坊願証寺と名乗ることとなった。安永年間(1772〜81年)以降は、当時の藩主戸田氏の菩提所ぼだいしょの扱いを受け、文化9年(1812)3月、焼失した際には用材の寄進を受け、文政6年(1823)冬に本堂の再建をみた。

 このように、大垣御坊は藩主戸田氏の庇護ひご崇敬すうけいを受けるとともに、藩の宗教行政の一翼いちよくになわされることにもなった。藩は、旗本津田氏領内にある本寺平尾願証寺に代え、城下最大の大垣御坊に藩内真宗寺院の統制をさせようと試みていたが、願証寺の反対で成し得なかった。

 嘉永かえい5年(1852)8月、戸田氏正は甥の大井勝相を大垣御坊の住職にしようとした。願いを入れた本山は、10月8日に大垣御坊を平尾願証寺より分離独立させ、開闡寺かいせんじ寺号じごうを与えた。これによって、願証寺に代わり、大垣御坊開闡寺は西美濃地域の東本願寺末寺の触頭ふれがしらとなった。勝相は東本願寺第二十一代厳如ごんにょ上人しょうにん猶子ゆうしとなり、敬信きょうしん院釈いんしゃく厳起ごんきと号して開闡寺の初代住職となった。敬信院が住職の間、明治9年には大垣別院と名称が変わり、同25年には別格別院に昇格した。慶応2年(1866)、御殿、大門を建立したが、明治24(1891)濃尾のうび大地震によって本堂以下諸堂倒壊の壊滅的被害を受けた。

 明治33(1900)、第二十二代現如げんにょ上人の弟、慧日えにち院釈いんしゃく厳量ごんりょう(大谷勝信)が二代住職となり、同41(1908)、本堂の再建に着手し11年後の大正7年に完成させた。さらに向源こうげん図書館や幼稚園を併設するなど境内整備を行った。しかし、これら諸堂も昭和20(1945)7月米軍機の空襲を受け烏有うゆうに帰したので、同23(1948)、三河より説教所を仮本堂として移築した。慧日院没後の昭和26(1951)からは輪番制りんばんせいが施かれ、同47(1972)、人々の願いであった本堂(重層入母屋造)を再建、同51(1976)には山門・客殿・塀を再建し、宗祖の七百回御遠忌ごえんき厳修ごんしゅうした。

CEO

 2002年4月25日から、淨如じょうにょ門首もんしゅをお迎えし、蓮如れんにょ上人五百回御遠忌を厳修した。

 毎月12132728日の午前・午後、定例法座が開かれている。

『真宗』(2002年4月号)より



略年表

1602年(慶長7年)
本願寺東西分派のおり、安八町三塚の真徳寺栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属す。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所を創建。これが大垣別院の始まり。
1624年(寛永元年)3月
大垣藩岡部長盛が替地三反を得て、真徳寺掛所は伝馬町に移る。
1743年(寛保3年)3月
本寺平尾真徳寺が平尾御坊を名乗り、伝馬町の掛所も平尾御坊掛所となる。
1747年(延享4年)
本山東本願寺の掛所も兼ね、大垣御坊と称せられる。
1773年(安永2年)5月
本寺真徳寺が願証寺と改称したので、以後大垣御坊願証寺と名乗る。
1812年(文化9年)3月
類焼により本堂を消失する。
1823年(文政6年)
藩より用材の寄進を受け、本堂を再建する。
1852年(嘉永5年)
本山は10月8日大垣御坊を平尾願証寺から分離独立させ、寺号を開闡寺と改め、藩主戸田氏正の甥、大井勝相(敬信院釈厳起)を初代住職に任じた。
1866年(慶応2年)
御殿、大門を建立する。
1876年(明治9年)
大垣掛所を大垣別院と改称する。
1891年(明治24年)
濃尾大震災により本堂以下諸堂倒壊類焼する。
1892年(明治25年)4月
初代住職、敬信院殿逝去する。
1900年(明治33年)7月
第22代現如上人の弟、慧日院釈厳量(大谷勝信)が第2代住職となる。
1908年(明治41年)
本堂再建に着手する。
1918年(大正7年)
本堂完成する。
1920年(大正9年)
向源図書館を設立する。
1921年(大正10年)
別院付属大垣幼稚園を設立する。
1945年(昭和20年)7月
空襲により全て消失する。その後、都市計画により境内地が削減される。
1948年(昭和23年)
三河より説教所を移築し、仮本堂とする。
1951年(昭和26年)10月
慧日院殿逝去する。9月28日、法主台下が住職を兼務し、以後輪番制が施かれる。
1954年(昭和29年)5月
蓮如上人四百五十回御遠忌を厳修する。
1969年(昭和44年)
本堂再建に着手する。
1972年(昭和47年)
本堂完成し、落慶法要を厳修する。
1976年(昭和51年)
親鸞聖人七百回御遠忌を厳修する。記念事業として山門、客殿、塀を再建する。
1985年(昭和60年)
別院付属幼稚園が、学校法人大垣幼稚園となる。
1987年(昭和62年)
大垣幼稚園園舎を建て替え、境内を整備する。
1989年(平成元年)
教区同朋会館を建立する。
2001年(平成13年)
蓮如上人五百回忌御遠忌記念事業として、水屋、鐘楼、本堂を修復する。
2002年(平成14年)4月
蓮如上人五百回忌御遠忌を厳修する。
2003年(平成15年)
大垣市静里町に大垣別院西美濃墓地を開設する。

バナースペース

真宗大谷派大垣別院開闡寺

〒503-0897
岐阜県大垣市伝馬町11番地

TEL 0584-78-3362
FAX 0584-78-3328
E-mail gobosan@muse.ocn.ne.jp

CEO