先日、妹が、「ねえねえ。大変な出来事があったのだけど、ちょっと聞いてくれる?」と話し出しました。 彼女には小学2年生の女の子がいます。ある日、仕事先に学校から連絡がありました。 「娘さんが学校で転んで、歯が欠けました。今から歯医者に連れて行きます。お母様も来ていただけますか?」と。 歯医者に駆けつけ、我が子を見てびっくりし、震え上がったそうです。生え替わったばかりの永久歯がパキッと折れ、神経までむき出しになっていました。どうなるのだろうかと、彼女はとても不安になりました。 ところが、保健室には折れた歯を保存しておく液があり、その中に歯を入れて運んで来てもらっていたそうで、それを歯医者さんで付けてもらい、取れなければ大丈夫ということになったそうです。その後、妹は歯が無事に付くか不安だったため、そのまま下校させたかったのですが、姪っ子は何事もなかったかのように午後の授業に戻って行きました。 歯が取れるではないかと心配している自分と、娘のあっけらかんとした様子の驚きとを、どうしても誰かに聞いて欲しかったと言いました。私も妹と同じく姪っ子の歯の心配をしましたが、学校に楽しく行っている彼女の行動にも納得がいきました。 しかし、私の関心はそれよりも保存液にありました。私は何と便利な液があるのかと驚き、学校の保健室に常備してあることに感心し、また、先生の対応に感謝しました。 何らかの事故の報道があったとき、事故を起こさないためにはどうすればよいか、事故が起こったときどうすればよいかに関心がいきます。科学技術が安全で便利な暮らしを提供してくれると現代人は思っています。私もその現代人の一人です。 親鸞聖人が「地獄一定住みかぞかし」とおっしゃたのとは、何と違っているのでしょうか。
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