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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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テレホン法話 2013年  

  放送日 タイトル 法 話
452 2013年3月21日〜 一寸先は闇 第2組南徳寺 村上貴生

 先日、ある方に旅行の写真を見せていただきました。その中に、十歳ほどの少女が、目隠(めかく)しをして(がけ)の上を歩いている写真がありました。その写真のタイトルは、「一寸先は闇」であります。
 人間は、(せい)を受けると同時に、常に死と直面して生きております。この事実に例外はありません。いつ何が起きるかわからない世の中を、みな手探(てさぐ)りで生きていると言えるでしょう。しかしながら、実際の生活はどうでしょうか。時間に追われ、目まぐるしく変わる環境の中、(あわ)ただしく一日が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎていっているのではないでしょうか。その間、生かされているという事実は見過ごされているのではないでしょうか。私自身もそうであります。生かされている命であるにも(かか)わらず、なんとも乱暴な生き方をしているように感じます。
 パナソニックの創業者である松下幸之助さんの執筆された本の中に、このような一文があります。
 「目の不自由な方は、なかなか怪我(けが)をしない。むしろ目の見える人のほうが、石につまづいたり、ものに当たったり、事故を起こす。目の見えない方は、手さぐりで歩む。一歩一歩が慎重(しんちょう)であり、謙虚(けんきょ)である。一歩を歩むために全神経を集中する。人生の本来歩むべき姿は、まさしくこれそのものだろう」と(つづ)られております。
 冒頭でお話しした写真の少女も、まさしくこの歩み方を伝えているように感じます。崖のすぐ横を、いつ転落するかわからない危険な中を、一歩ずつ慎重に歩んでいるのです。
 この慎重な歩み方を真宗の教えに照らしたとき、蓮如上人(れんにょしょうにん)の記された「白骨(はっこつ)御文(おふみ)」が頭の中をよぎります。我々は「(あした)には紅顔(こうがん)あって(ゆう)べには白骨(はっこつ)となれる身」であります。人の生涯に年齢は関係ありません。誰もが「後生(ごしょう)一大事(いちだいじ)」を心に()め置き、心から阿弥陀仏(あみだぶつ)()りどころとし、念仏申しあげるものと書かれております。
 浄土真宗では「念仏によって救われる」とされております。この慌ただしく過ぎる末法(まっぽう)の時代であるからこそ、その中で明日この身がどうなるかもわからないと不安を抱える凡夫(ぼんぶ)であるからこそ、念仏が有効であるといえるのでしょう。
 今後、医学・科学はますます進歩し、目覚ましい発展を()げるでしょう。しかしながら、死と直面して生きていくという事実に変わりありません。
 一寸先は闇と言われるこの人生において、一歩一歩を慎重に力強く踏み出す中で、念仏とのかかわりにより、自分の生かされている命に気づいていきたいものであります。



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真宗大谷派大垣別院開闡寺

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