人は、生まれたからには、死んでいく。死に向かって生きていく。 そんな言葉を、仏法を通して耳にし、頭では理解していたつもりでしたが、どこかで「死」という言葉がネガティブなイメージだと感じていました。 先日、私のお寺の住職が、お浄土に還りました。住職としての存在、父親としての存在、一度に二つの大きな影を失い、悲しみに身を裂かれるような思いをしました。 人生初めての喪主という立場で住職を見送り、身に沁みる悲しみはもちろんですが、普段感じる事が出来なかった命の儚さ、人との繋がり、絆、優しさ、支え、愛情、さまざまな思いを感じ、又、再確認する事が出来ました。 今までは、御門徒様の葬儀を執行する立場でお見送りをしてきましたが、喪主となり周りの方に助けて頂く中で、本当に人は支え合って生きているのだと感じ、感謝の気持ちで胸が熱くなりました。 『亡くなった人を見送る』 誰もがいつかは経験することですが、悲しみに執着せず、それ以上の大切な気持ち、心の底からこみ上げてくるお念仏、すなわち南無阿弥陀仏に気づかせて頂ける場だと強く感じました。 『今を生きる』『今いのちがあなたを生きている』という言葉から、死という言葉が決してネガティブなイメージではなく、生と死は常に隣り合わせで、生きているからには避けて通れない道だと思いました。
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