家の固定電話で連絡は取れますし、何といってもいつでもどこにいても連絡が取れるという便利さよりも束縛性・個々に持つことの秘密主義、いじめをはじめとする事件性の多さなどを考えると、携帯やスマートフォンを持つ意味が理解できずにいたのですが、必要に迫られ昨年夏に購入しました。 納得がいかないまま悪戦苦闘しながら使用していますが、そんな折、NHKの「あさいち」という番組で、子どものネット依存によって、診療に病院を訪れる人が増えていることが取り上げられているのを目にしました。その中で、私が気になったのは「つながり依存」という言葉。それは、悪口を言われていないか心配で、風呂にも入れない、食事もできない。既読したことが相手に分かるので、すぐ返信しないと「既読無視」というマナー違反になり、仲間はずれにされたりすることを恐れて、スマートフォンから手が離せない。 この状況から思い浮かんだのが、東日本大震災以来、よく目や耳にする「絆」という文字。2011年を表す漢字にも、流行語大賞にも選ばれた字ですが、二つの意味があることを知っていますか? 広辞苑には「@馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。A断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。」とあります。まさしく「つながり依存」を漢字すると「絆」ですね。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは最近なのだそうです。つながりを求めすぎる余り、自由を妨げるものになっているのではないでしょうか? 昨年の法語カレンダーの、 世の中が便利になって 一番困っているのが 実は人間なんです という浅田正作さんの言葉に頷かれた方も多いと思います。うまく利用すれば便利であるはずの道具に追い回されて、疲れ果てて自分を追い詰めてしまうのです。 人は誰でも、自分の居場所を探し求めています。自分一人で生きているように思いがちですが、支え支えられて自分の存在を確かめながら生きているのです。 「つながり依存」の子どもたちも、孤独であるがゆえに、つながりを求めているのでしょう。どういう形であれ、誰かとつながっていたいのです。顔が見えない分、答えにくいことまで答えられ、過剰化してしまう活字でのつながりには温かさがありません。顔を付き合わせて話すことの大切さを、大人が教えていかなければならないのだと思います。 私は毎朝、息子と娘をそれぞれ、少し一緒に歩き、出かける姿を見送ります。
子どもたちの後ろ姿にも表情があるのです。まずは家庭から、共有する時間を一日のうち数分でも持ってほしいと思います。腹の立つこともありますよ。それでも、触れ合いから生まれる温かい「つながり」を求めて。
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