こんにちは。4月になりましたね。四月といえば、学校では新学期が始まり、社会人は新しい職場の仲間と一緒に仕事を始める時ではないでしょうか。新しい生活、新しい環境、慣れるまでは大変ですね。
さて、ニュースや新聞では毎日のように自殺される方が報道されています。特にこの4月過ぎから5月頃のこの時期は、自殺される方が多くなるようです。
平成25年度の警察庁の統計によると、5月の自殺者数は2540人の方たちが自ら命を絶たれました。家庭・健康・経済・労働等、様々な問題を理由に自ら命を絶たれる。とても悲しく、何もできない自分に無力感を感じます。そして、そのたびに「いのち」について考えさせられます。
「いのち」というと、昨年こんなお手紙をいただきました。夏休みに正信偈の練習会に来ていた男の子が書いてきてくれたものです。私はこれを読んでハッとさせられましたので、ご紹介します。
「ぼくが大切にしているものは命です。 ぼくは生まれてすぐに病気をして入院していました。 ママはずっとぼくのそばにいてくれました。パパも、ばあちゃんもじいちゃんも、ママのお姉ちゃんも弟も、ぼくを大切にしてくれました。
ぼくは今までいっぱい病院に行ったり、入院したりして、今もまだ体が弱いけど、みんながまもってくれるので、ぼくは、命を大切にしたいです。
ぼくのママは3年前に心臓の手術をして体のむねからおなかにぬったきずがあって、ママは、はずかしいからとかくしているけど、ぼくはその手術でママの命がたすかったのだから、ぼくはそのきずあとがママの強さだと思いました。
手術する前にぼくに「ママはあなたをのこしてはしねない、ぜったい生きて帰ってくるからね」と やくそくをしました。
ママ、 元気になってくれて ありがとう。」
「いのちを大切に」という言葉は小さいころからよく聞く、ありきたりの言葉かもしれません。しかし、この男の子が言っている言葉は、もっと深いものではないでしょうか?
小さい体で、高熱や身体の痛みに苦しむ夜を何日も過ごし、「こんなに苦しいのは嫌だ、もう楽になりたい」と思うこともあったでしょう。しかし、お父さんやお母さん、色々な人に「大丈夫?」と声をかけてもらったり、一晩中付き添ってもらったりする中で、「このいのちはいつ尽き果ててもおかしくないかもしれない。けれど、その「いのち」を支えてくださる方がいるのだ。」と強く感じたのでしょう。
人間は一人では生きていけない。そんな当たり前かも知れないけれど、普段は忘れているようなことをこの男の子は強く感じたのです。だからお母さんの手術の痕をみても「それがお母さんの強さだ」というように、「いのち」の力強さのようなものを感じるのでしょう。いつなんどき、どのような形で別れるかもしれないこの「いのち」。その「いのち」が今ここにあり、当たり前だと思っていた生活の中に、「当たり前でなかった、ああ、今日もかけがえのない一瞬の中で大切な方と過ごしておるんやなぁ」と、気づかせていただくのでしょう。どうかお念仏称える中でお出会いしていきたいものです。
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