放送日 | タイトル | 法 話 | |
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496 | 2014年6月11日〜 | 「当たり前」という身勝手さ | 第12組福存寺 熊谷廣教 |
この法話を聞いておられる皆様、わざわざ時間を割いていただき、ありがとうございます。 とは言え、法話といいましても、若輩者ゆえ大した話はできません。どうぞ気を楽にして聞いてください。 これは僕の考えなのですが、法話や説教といったものは、身構えて聞くようなものではなく、自然体で聞いてこそ意味があると考えています。その上で忘れてしまったり、難しすぎて分からなかったりする話は、無理に覚えようとしたり、分かろうとしなくていいと思います。ですので、僕の話を忘れてしまっても、特に問題はありません。今その人に本当に必要な話ならば、自然と耳に残るでしょう。 当然覚えているべきだ、とか、当然分かるはずだ、とかいう考え方は非常に危険で、これが行き過ぎると、人のことを全く考えなくなり、自分の都合を押し付けるだけになってしまいます。 特に僕たちのような坊主は、『説教を聞きに来ているのだから、当然これくらい分かるだろう』と、たかをくくって話をしがちです。自分が分かってるから他人も分かるだろう、というのは、相手の立場に立ってものを考えていない証拠です。 確認も取っていないのに、当然覚えているだろう、当然分かっているだろう、当然やってくれるだろう、という考えは、人が自分の思うように動いてくれるに違いない、と考えているのと同じです。 特に、やってくれるのが当たり前、というものが一番 自分の生活を少し振り返ってみれば、誰かが当たり前にやってくれていることで、自分がどれだけ助けられているか、またそれが意外に多いということに気づけます。 それに感謝しましょう、となれば、それこそ気持ちの押し付けになりますので、気を楽に、自然体で素直に感じたようにするのが一番いいと思います。 重要なのは、身勝手な自分を振り返る、ということであって、そこから先はまた別の、自分自身の内面の問題なのですから。 それでは、ここまで聞いていただき、ありがとうございました。 |
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