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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2014年  

  放送日 タイトル 法 話
501 2014年8月1日〜 私にできること 第11組長正寺 杉本季利子
 先日、「白骨(はっこつ)御文(おふみ)」をテーマにした学習会に参加しました。還骨勤行(かんこつごんぎょう)の際に読まれますので、真宗門徒(しんしゅうもんと)の方なら一度は必ず耳にされたことがあると思います。
 「(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨となれる身なり。」
皆さんは、この御文にどんな印象をお持ちでしょうか?
 正直申し上げて、私はあまり好きではありませんでした。今でもこの御文を聞くと、9歳の時に火葬場で眼にした、大好きな祖父の変わり果てた姿が思い出されて涙が溢れ出すのです。つい最近まで私は、葬儀に参列しても御遺体からは眼をそむけ、白骨の御文には耳をふさいでいました。
 蓮如上人(れんにょしょうにん)は、どうして人の死を真っ向から突きつけるような残酷(ざんこく)(つら)くせつない御文を残されたのか?私はずっと疑問でしたが、この度の学習会や諸先生方の書籍等から、この御文は決して無常観(むじょうかん)ばかりを(つづ)ったものではなく、死という現実を突きつける白骨を前にして何を思うか、誰もがいずれこうなるからこそ、南無阿弥陀仏の心を(いだ)き、生きている今を大切にしなければならないと教えてくださっているのだと知りました。御文の意図を全て理解するには、まだまだ未熟で勉強不足の私ではありますが、少しずつ理解を深めていきたいと思います。
 子供の頃のトラウマのような体験は、一生消えることはありません。でもそれにしばられて眼を背けるのではなく、そういう体験をした私だからこそ何かできるのではないかとも考えさせられます。そんな時、とある門徒さんがお寺を訪ねてこられました。心の支えだったお母さんを亡くされ、絶望感でいっぱいだと涙ながらに話されるその姿に、あの頃の私が重なりました。
 私は自分の体験を話した上で、学習会で()いた白骨の御文のことを伝えました。
 上手には話せませんでしたが、その方は一生懸命に私の話を聞いて下さり、帰る時には「母は亡くなってからも、私に大切なことを教えてくれていたんですね」と、笑顔を見せて下さいました。
 私にできることは、これかもしれません。お寺で最も大切なのは、もちろん住職の役割なのでしょうが、坊守の私でもできること、いや私だからこそできることがあるのだと勉強させて頂きました。
 今後も自分にできることを少しずつでも努力していきたいと思います。


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