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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2014年  

  放送日 タイトル 法 話
513 2014年12月1日〜 善人、悪人 第7組徳源寺 北川 巌
 『歎異抄(たんにしょう)』という書物があります。親鸞聖人(しんらんしょうにん)がお話しされたことを、弟子の唯円(ゆいえん)という方が胸の底から(つむ)ぎ出すように述べていかれたものです。その中で、第三章悪人正機(あくにんしょうき)と教えられる所があります。どんなことがいわれているのでしょう。
 善人よりも悪人が救われるとはどういう事なのでしょう。反対なのではないでしょうか。それは反対だろう。善人よりも悪人が救われるなんてと、反論したくなるところです。しかし、その反論に対して親鸞聖人は、
 「自分で何でも心がけどおりに行動でき、また人からも、あの人は本当に道徳的な善い人だと言われて、得意になっておられる人よりも、自らを何一つ心がけどおりにもできず、心の中は悪心(あくごころ)一杯な(おろ)か者であると悲嘆(ひたん)の涙を流す者の方こそ、阿弥陀仏の救いに預かるのである。」と言われ、さらに、「自らを善人だと思い、我が力で何でもできると思っている人は、ほとけさまをたのみ、頼りにする心が欠落しているのであり、反対に、煩悩(ぼんのう)に踊り(くる)わされて欲得(よくとく)にかけずり回って日々を過ごし、いかなる善行(ぜんぎょう)さえも間に合わない愚かなる者をこそ、阿弥陀仏は(あわ)れみをもって見ておられるのである」と、教えてくださっています。悪人とは、自分自身のことを、全く己心(おのれごころ)では何ともならぬ、自分の道すじひとつ、つけきらない愚か者であるという深い自覚に立った者の事であると教えておられます。
 さて、私たちはどうでしょうか。
 「私は何でも自分の思ったとおりに生きているさ。ちゃんと善い心のままに生きているし、人にも迷惑一つかけず、模範的(もはんてき)な人間さ」と、胸を張って生きられているでしょうか。それとも、「そのような模範的な人間になろうといくら努力をしても、欲得、自分可愛さに明け暮れ、心の奥は、とても人様に見せられるような者ではない」と、うつむかれる人でしょうか。
 きっと、自分は善人だと言い誇れる人には、仏さまは必要のないことなのでしょう。
 現代は、底の浅い道徳観だけを振りかざし、それぞれ、人が抱え持っている心の重さ、深みをも察することなく、己を省みることもなく、人も、また自分自身すらも切り捨てていくばかりの、冷淡な善人社会なのではないでしょうか。


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