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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2023年  

 № 放送日 タイトル 法 話
725 2023年9月16日~ いのちを生ききる 第16組 浄厳寺 吉谷 学
 すべてのものは「生」をうけたら「死」を迎えます。私たちは、この日常において「死」を考えて生きている人は少ないと思いますが、身近な人の死や病気などで「死」と向き合わなければならない時があります。また、自分自身が病気になり、「死」を意識した途端に、「生」が苦しくなってきました。生老病死(しょうろうびょうし)という四苦(しく)が、まじまじと自分に当てはまると感じます。
 私自身、最近身近な人が亡くなったり、病気になったりと心に大きな悲しみや苦しみが、ふりかかってきました。人の運命であり、寿命だからと受け止めようとする自分がいますが、心の穴は思い出だけでは埋まらず、マイナスな想像ばかりを考えてしまいます。本当であれば、そういう状況におかれた時こそ、阿弥陀様から自身の生死(しょうじ)についてよくよく考えろと、いわれていることを知らされます。
 そんなこともあり、「生」と「死」について考える中で、「生ききる」という言葉を耳にしました。まず、「生きる」と「生ききる」の違いは何なのか調べると、「生きる」とは生命を保つ、生存するという意味であり、「生ききる」とは、寿命を全うすることで、終わりを迎えるということでした。そのような意味を知ると、「生ききる」とは、自分自身がどのような生き方をするのか、そこを問題にしているように感じます。困難や悲しい出来事に遭遇して、人は耐え、葛藤し、戦い、なんとか生き抜こうとします。人は「なぜ生きているのか」「人生とは何か」「自分とは何か」普段の生活の中では、明らかにすることが難しい問いが出てくる中でも、その問題を避けることをせず、きちんと向き合っていくことこそが、「生ききる」ということではないでしょうか。
 コロナウイルスや、ウクライナ侵攻の戦争で、たくさんの人が亡くなり、生きたくても生きられない人がたくさんいます。また、生きることに悩み苦しみ、自ら命を絶つ人も年々増えています。このような現代社会において、私たちがどのように生きていくのか問われています。ただただ、時間が経つのに身を任せ生きているだけでは、私たちは様々なものに支えられて生かされているという「いのちの事実」も見失ってしまいます。自らのいのちを考えることなくただ生きているだけでは、悲しみや苦しみの中にあって、確かに歩んでいくことは難しいでしょう。「死」を必ず迎えることを自分の中ではっきりとさせ、「死」に向かって、ただ「生きる」のではなく、いただいたいのちを「生ききる」生き方をしなければならない。


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