№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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730 | 2023年12月1日~ | 何をもってありがたいのか | 第13組 應順寺 髙木 蓮 |
以前、あるご門徒さんのご法事にお参りした時の事です。ご挨拶を済ませたところで、ご主人から「時間を短縮してお勤めして欲しい」と言われました。当時、新型コロナウイルス感染症の流行の最中であり、またご門徒さんのご都合もあったかと思われます。ご要望に沿い、平常より短縮した内容でお勤めしましたが、その話の流れでご主人が言われた言葉が、今でも私の中で忘れられずにいます。 「私は短くても、ありがたいお経を読んでいただければそれで良いのです。」 ご主人の真意は分かりませんが、一般的な感覚として、神仏や、神秘的なものごとに対する感情として、「ありがたい」と表現することがあるかと思います。では、私たち真宗門徒がいただく仏法・法要の「ありがたさ」とは、どういうものなのでしょうか。そういったことを考えさせられるご縁となりました。 以前私が聴聞したご法話で「仏法の主体は私である」「私の抱えている問題・課題の中で、仏法に出遇っていく」と聞かせていただきました。逆を言えば、私という主体が抜けると、御本尊の存在・法要などの仏事を自分自身の内面と切り離し、対象化して自分の都合で「ありがたい」とか、「そうでない」とか解釈・評価してしまう。その危うさに気付かされました。 「ありがたい」とは本来「有ることが難しい」、すなわち「めったにない」という意味であります。ご主人の言葉を例にとれば、お経自体もありがたいものではありますが、ご先祖の法要を通して、私が人間として生まれ今生きていること。そして、私が仏法に出遇っていくということが、「ありがたい」ことなのだと思います。 今年も、大垣別院では12月10日から13日まで報恩講がお勤まりになります。一般寺院でも宗祖親鸞聖人のご |
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